八月六日に思う平和のこと

暑い夏ですね

八月六日の広島原爆の日を過ぎて
改めて平和の尊さを感じました

きっとあの時の夏も暑かったことでしょう

この夏の暑さは気温こそ違えど
凍える寒さの季節ではなく
暑い夏でした

ウクライナやパレスチナの現状からは
平和って努力がいることだと思わされます

セオリーで行くと
こんなところに政治的な主張や
宗教的な主張をするのは
止めたほうがいいという人たちがいます

でもそれって私はつまんないと思います

私は生きていて
私は感じることがあって
私は共感することもたくさんある

海外の生の人々と交流した経験
日本であっても外国人との会話では
政治的な話や国際的な話がたくさん出てきます

だからそのままの
自分でいいと思っています

武士道のように
戦うための武力ではなく
戦わずすむために鍛錬することは大切だと思います

武力を放棄することは理想ではあります

ですがその状態は周辺の国にとっては
武力によって現状変更を迫る
チャンスにもなります

白旗を振って全てを蹂躙されて
ヒトとしての尊厳もない生き方が
果たしてできるのでしょうか?

いざとなったらそんなことは
できないと思います

誰にでも愛する人や守るべき人
暮らしや物があります

それを踏み躙られることは
精神的に苦痛です

別に戦争や侵略をするつもりはありません

でも攻めてこらせないための
準備は必要だと思います

スイスはそうやって圧倒的な
軍事力で自国の中立性を保っています

日本もあらゆる形で守りつつ
文化面や人間的な精神的な面で
世界中に打って出ていいと感じています

もっともっと世界中に日本人が
出ていって感化してきて欲しい

日本的な平和は「道」の世界にあり
武道のみならず、茶道や華道、書道と
あらゆる出来事を高い精神性に昇華していきます

暮らしだってそうです

祈りの場所がある家は
魂の居場所のある家だと思います

自分自身を見護ってくださる存在に
感謝と喜びを伝える時間と場所を設けつつ

ホッと一息一瞬でも
気持ちが和らぐような
そんな時間が日々の
暮らしの中に取れますように

祈りの長崎から
家族が安心して住める家を作る仕事を通して
平和な暮らしをもっと広めていけますように